住宅情報・ニュース
2007年06月30日

建築家 中村順平

このエントリーをはてなブックマークに追加 Yahoo!ブックマークに登録

建築家・中村順平、生誕120年

大正から昭和にかけて活躍した建築家・中村順平の業績を振り返る展示会が大阪市中央区の大阪歴史博物館で開かれているというニュース。
正直、中村順平という建築家を知らなかった。というのも代表作の岩崎小弥太郎邸食堂は戦災で焼失。近畿で現存するのは、京都・祇園会館の壁画が唯一ということのようです。
しかし、非常に興味深いのが「建築は芸術である」という信念。
特集展示「建築家・中村順平」は7月9日まで開催。

大正から昭和にかけて活躍した建築家・中村順平(1887-1977年)の業績を、残された図面などで振り返る展示会が、大阪市中央区の大阪歴史博物館で開かれている。現存する建築作品が少なく、知名度は高くないが、「建築=芸術」という思想を体現し続けたユニークな人物だ。今年、生誕120年。
中村は大阪市生まれ。名古屋高等工業学校(現・名古屋工業大)で学び、東京の建築事務所に就職。33歳で渡仏し、エコール・デ・ボザール(パリ国立美術学校)でも学んだ。ボザールは芸術性を重視した、古典主義的な作品を尊ぶ校風で知られるが、それは中村の作風をも決定づけた。
...
24年に帰国した後は、横浜高等工業学校(現・横浜国立大)教授に就任。建築芸術、図面を重視するその教育は独特で、「中村建築教育」と称され、多くの優れた後進を輩出した。
しかし実作には恵まれなかった。代表作の一つ、岩崎小弥太郎邸食堂は、戦災で焼失。船内装飾を手掛けた豪華客船は戦時中、次々と軍に徴用された。実現しなかったプロジェクトも数多い。近畿で現存するのは、京都・祇園会館の壁画が唯一という。
...
その中で生涯、「建築は芸術である」という信念を貫いた中村は、時代の流れに逆らったようにも見える。それでも最晩年には、村野藤吾らの推薦で日本芸術院会員となった。やはりその実力は、偉大だった。

posted by iezukuri : 2007年06月30日 22:46 | trackback (0)

Previous « にっぽんらいふ展 | 都市ガス販売量 増加 » Next

“建築家 中村順平”へコメント




保存しますか?


 
To Page Top “建築家 中村順平